ブログ インデックス (きのう・おととい)   さくらぎ広場もご覧ください もうひとつの記録

 

2011年6月30日 相模原
 私の歌謡大学キャンパス内にも放射能の魔の手。
 「高い」とは決して言えないので、巷では「安全」と評価される程度だが、本来私の持っているカウンターでは検出範囲外の自然放射線が、ここでは確実に捕らえることができている。
 1mの高さで0.189マイクロシーベルト。
 芝の上に置けば0.206マイクロシーベルト。
 確実に私どもの生活圏に自然ではない放射能が広がっている。
 私も原発に対して肯定的な意見を持ってきた一人として、安易な安全神話を信じたことを恥じている。

 

2011年6月26日 復興支援物産展
 王子駅前の公園で復興支援物産展が行われていた。
 テレビでよく見かける風景で、手軽に被災地の支援に繋がるのではと、出掛ける機会を見ていたが、先方から王子に来ていただいたよう。
 多くの人が集まり、新鮮な野菜や果物、海産物に地酒などを購入している。
 私も、運良く津浪を逃れたという「幸運の地酒」や、晩のオカズにと、使えそうな素材を両手に提げて帰ってきた。
 今日は、被災昆布の味噌汁に福島産のジャガイモによる肉じゃが、三陸沖のエボダイ…と、女房がひとつひとつの産地を説明した。けっこう、そこだけの素材で夕食の菜ができてしまう。
 写真パネルの被災地も、かつてのような混沌ではなく、道路などが整備された現状が映し出されていたが、三月を過ぎて進まない復興状況も垣間見られる。
 なんとしても、政府の動き、判断の遅さには、業を煮やしてしまう。自分が何もできないだけに余計に歯痒い…。
 南部せんべいにプリントされた陸前高田の津波に耐えた一本松の写真が、復興へ急ぐように手招きしている。
  復興へ捲れぬままのカレンダー  一泉

 

2011年6月26日 飛鳥山麓のアジサイ
 アジサイは、今が盛り。
 サクラの名所・飛鳥山の山裾の歩道脇に植えられたアジサイ。もともとあったわけではないが、道路の整備とともに植えられたもので、新しいアジサイの名所のようになっている。
 身近な場所で、わざわざ行くことも稀だが、先日の川柳で辿る広重の江戸名所百景の際に通りかかったら、かなりのボリュームの美しさ。ゆっくり写真でも…と思い出かけた。

  アジサイの色 いろ 彩を愛でて撮り    一泉

 王子のお近くにお出掛けの節は、是非ともご覧ください。一見の価値があります。

 

2011年6月24日 恩師とおなじ
 今日は、美大の授業。
 校内に入ると、珍しく駐車場でない駐車許可を頂いた。非常勤講師は、ふだん駐車場の方に回されることが多い…。
 一度、やってみたかったことがひとつ。
 私の恩師の愛車が赤いプリウス。偶然だが、私も赤いプリウスに乗っている。
 恩師の車の隣に、「575」号を並べてみたかった。
 いつもの場所に止っている恩師のプリウスの脇に駐車。やっぱり同じ・・・。なんだか、それだけで嬉しくなって、授業も楽しく過ごすことができた。
 「真似するな!」と笑顔で怒る師。師の言葉にしたがい、師の伝えたいことを慮ってきた私にとって、この偶然の好みは、いかに師の教えに忠実であったかを物語るよう・・・。
 師は、来年退官という年を迎えるが、それまで少しでも長く傍にいたいと思った。

 

2011年6月24日 逃げ出したカメ
 昨年のちょうど今ごろ、お富士さんの植木市で我が家に来た「カメさん」(名前です)が逃げ出した。娘のペットだが、ほとんど面倒を見ているのは私で、「カメさん」と呼びかけると石の下から出てきて首を持ち上げるのはカワイイ。
 温かくなってからは活発さが増し、亀用水槽の低い壁を乗り越えるようになってきた。そこで、縁の高い洗面器に入れ替えていたのだが、アタマの良さとチャレンジ精神で、いつの間にか石を利用して出てくる。
 パソコンの前を這っているのを見て、思わず笑ってしまった。
 「玄武洞」を名乗るのも何か亀に縁があるとも思いながら付き合ってきたが、わざわざ遊びに来てくれるなんて…。
 また、カワイクなった。

 

2011年6月23日 墨東の川柳史跡とおいしいものを訪ねて…
 かねてお約束の「お目にかかりたい…」という一日を墨東に遊ぶ。
 やや蒸すが、雨の降らない雲の多い天候で、6月の直射日光だけは避けられた。
 ご案内したお二人は、大きな病を乗り越えた体なので、多少心配しながら歩いたが、どうしてどうして、若い私の方がだらしなく足に張りを覚えてしまった。
 最高到達点まで完成した東京スカイツリーを十間川、西十間川および真下から見て、新しい東京のシンボルを身近に感じる。
 木母寺にある四世川柳建立の「東都俳風狂句元祖 川柳翁之碑」を皮切りに、三囲神社の五世、六世、九世という歴代川柳の句碑、川柳中興の祖・阪井久良伎句碑などを案内、併せて、俳諧の其角句碑や宗因句碑、朱楽菅江の狂歌碑など、周辺の江戸文化をご覧にいれることができた。
 割烹・吉葉は、元横綱吉葉山が開いた宮城野部屋跡を料亭にしたもので、中央に土俵がある建物で江戸気分とおいしいものを味わう。

 今年は地震の年。元被服廠跡の震災慰霊堂とその記念館を訪ね、関東大震災の記録や事物を拝見し、東北の被災地を思った。

 首筋に直下型の地震の噂などを聞きながら、車を戻して長命寺の桜餅をいただく。
 江戸からの味が、また吟行気分を深めてくれる。

 病気と闘ったお二人が、口を揃えて「川柳をやっていてよかった」というのを伺い、人を癒し支えるという川柳の効能を感じたが、これをさらに広く社会に広めていきたいものである。

 

2011年6月22日 浅草「六区花道川柳」
 6月上旬に展示を頼まれていた「六区花道川柳」だったが、忙しくて、掲示する作業を博柳さんに任せきりにしてしまったが、昨日、その風景を初めて見せてもらうことができた。
 演芸場に列を成す観客が、向かい側の壁に張られた川柳を見てゆくとの事。
 評判も上々ということで嬉しい。
 川柳の基礎知識と「浅草の川柳」をテーマにしたが、地震と川柳や地域と川柳などの要望が出てきて、川柳に対する欲求が高いことを感じた。
 作ることも楽しいが、「読む楽しみ」「知る楽しみ」という切り口も川柳では有効である。

 浅草の六区花道の近くを通られたら、是非ご覧ください。

 

2011年6月21日 もんじゃ
 浅草は合羽橋本通りの「七五三」でもんじゃ焼を食べる。
 この暑さでビールが美味い。
 「もんじゃ焼」は、お好み焼きと違って「江戸っ子」の食べ物。文政9年3月13日の
   杓子程筆でハ書ケぬ文字焼屋   佃 (誹風柳多留 94)
 という佃島の魚問屋で後の五世川柳になる「佃
(たづくり)」が作った川柳にも残る。
 具材で土手を作って汁を池のように溜めるのは、ちょっとした「ワザ」。蘊蓄を傾けながらヘラを操るのも楽しい。
 子供の頃は、ちょっと薄汚い子供相手の店が各所にあり、親に言うと止められるので、内緒で行ったのを覚えている。
 少し焦げ目がついたくらいに鉄板から小ヘラ(「はがし」と呼ぶほうが似合う)で掬って食べるのも懐かしい。もんじゃの語源は「文字焼」から。
 文政から天保期の川柳作品が多いのは、この頃の流行か?
  焙烙で文字焼をして大困り   如柳  
 (誹風柳多留 139)
  文字焼の匕
(さじ)ひり懸る瓶の縁  祖山  (誹風柳多留 118)
  文字焼屋杓子で飯を喰ている   麹丸  
(誹風柳多留 124 )
   文字焼の鯛も焼物子の料理    麹丸  
(誹風柳多留 126)
  文字焼で角木瓜
(かくもっこう)を旨く書  花菱 (誹風柳多留 124別)
 いずれも、四世川柳時代からの有力作家で、句会の後に文字焼屋で一杯傾けながら川柳談義に花を咲かせたのだろう。
 我々も、文字焼発祥の地あたりといわれる店で江戸の香りと味を楽しんできた。

 

2011年6月21日 川柳さくらぎ・押上
 いよいよ東京スカイツリーが頭上に立ち上がった。あそこまでが3000円、其の上に行くにはさらに1000円・・・などと言いながら見上げる。
 メディアの川柳、句会の川柳、そして文芸としての川柳における「選」の考え方や意識を実例を見ながら検討した。
 TPOに合わせて選句眼が、多面化した川柳という世界においては必要になっている。
 ここの押上では、まさに身近な問題としての川柳を題材に考えようと努めている。

 

2011年6月20日 川柳で訪ねる広重の江戸名所百景
 美浜カルチャー主催の新しい講座がはじまった。
 川柳を知らないという方に川柳の楽しさを伝えたいということから企画した講座。
 川柳はじめての5人が集まってくれた。はじめて古川柳に触れると、言葉の問題や風俗の問題があるので、痒いところに手が届きそうなテキストを用意するとどうじに、現場でのかいせつも噛み砕いて話すように心がけた。
 第一回が、華やかな浅草や上野、両国といった場所でなく、震災で開催が遅れたまま予定を飛ばして第3回からのスタート。ちょっと地味な<王子>をご案内することとなった。それでも、見るべきものは多く、江戸の気分の残る王子稲荷の社殿にはいると、その瀟洒な荘厳さに粋を呑むこともあった…。
 次回は、<浅草>ということになりそう。


 

 

2011年6月17日 川柳わかな
 発祥の地の川柳会も軌道に乗った観がある。
 何よりも楽しんで川柳にのぞめるのが嬉しい。
 「こういう話が聞きたかった・・・」とMさんは、目を丸くしたが、体系的知識を身につけていくことは面白さ、好奇心を増すだろう。
 私も、三柳の講座で楽しく飽きなかったのが、どこまでも深められる川柳の知識と世界。いまだに、虫の食った本を読んでいると、新たに気づかされることが多いのは、250年という短いようで長い歴史と広がりを持った川柳の魅力である。

 

2011年6月15日 文京川柳会
 忙しかったので、なにか久しぶりの感じがした文京川柳会。急遽会場をシビックセンターに移して、第二回の総会を開催。枇杷子会長を中心に三年目の活動に入った。
 久しぶりといえば、お父さんを亡くされて社長業として家業を盛り立てる立場になった「グレート秀さん」が顔を見せてくれた。川柳などの趣味との両立は難しいことは、私も承知する立場にあるが、会を辞めずに投句などで川柳に向いていてくれたことが嬉しい。
 皆で祝吟というか励ましの一句を作って各自が披講した。
 句会での競吟と違い、どの句にも作者の気持ちがこもって温かいものだった。サプライズにと陰で色紙を回し、それぞれが認めた川柳が会長から手渡されると、秀さんも照れくさそうにも満面の笑みで応えてくれた。
 社長業は大変だと思うが、仲間の温かい絆は変らずに応援してくれる。頑張って欲しい。

 講義は、「今年のサラリーマン川柳と作品の良さ・問題点」と題して、一般の目に一番届いている川柳の現状について検討した。
 課題詠2題と前句附1題を課した今日の宿題の出来をみると、課題詠が題の説明に四苦八苦しているのに対し、前句附では、自由に前句を繁栄した作品ができていた。「皆そろって前句附のほうが上手い」ということが判った。
 題詠も前句附の気分で題を消化すると、もっと自由な発想になれるのではなかろうかと、そんなことを感じた。

 気心の知れた仲間とのひと時は、なににも増して楽しいことだ。

 

2011年6月13日 OFF
 日帰りの仙台行は、さすがの私も昼間でグロッキー。
 昨日の写真を整理して、アタマは休めている。

 右の写真は、昨日の東北自動車道における放射線強度の値。郡山インターをちょっと福島よりに行ったあたりのもので「0.694マイクロシーベルト」を表示した。
 東京の我が家では、最高値でも「0.350マイクロシーベルト」だったので、「やはり高い」と背筋に電気がはしった。
 帰りがけに聞いた福島放送のニュースでは、福島市内で「2マイクロシーベルト」、飯舘では「3マイクロシーベルト」と整数を超えていたので、この値はたいしたことではないのかも知れないが、日常の生活圏に着実に放射性物質が到達していることにぞっとする。帰ってから機器を点検すると、昨日の最高値は「0.754マイクロシーベルト」だった。これは、暗くなって機器が見えなかった帰りの東北道での数値だろう。
 ゾッ!

 

2011年6月12日 復興と祈り
 2011年の全日本川柳大会が、宮城県仙台市において開催された。
 3月11日の震災で、仙台も少なからぬ被害を受け、この地での全日本川柳大会開催も危ぶまれたが、地域の復旧・復興への力と地元川柳界の強い意志によって予定通り実施された。
 また、被災地を思う多くの柳人が駆けつけ、予想をはるかに超える650名の参加を得て、心に残り、また明日へ繋がる行事が成功した。
 日川協会長の大野風柳氏の挨拶にも地元柳界を代表する雫石隆子氏の挨拶ほか、来賓のコトバにもあったが、この未曾有の国難にあって、この地域から復興を発信する意義、社会詩としての川柳がもつ力を活かしていく意義が、今日の開催の大きな目的であるということを分かち合った。
 川柳のようなコトバのもつ力・・・言霊・・・ともいうものは、日本人の歴史性・風俗性においても感じられる。さらに、この地に集まった柳人の川柳に対する熱き思いを再確認できた事がなによりの収穫だった。
 恒例のアトラクションには、地元柳界から踊りの披露やマンドリンの演奏があり、選考の時間などを楽しんだ。
 事前課題および当日課題の入選句が披講される頃には、一堂が自らの句が披講されるかと喉を乾かしながら唇を嘗めて聞き入った。
 時折、会場から素っ頓狂な呼名もまざり、和やかに句会を楽しむ。
 高点句の中から、二次選者により今年の文部科学大臣賞や大会賞が選ばれ、壇上に染筆がならぶ。二次選者の軽い選評の後、風柳会長が全句に鑑賞と評を与えて表彰式となった。
 この被災地としての仙台で、継続してきた大きな大会が見事に実施されたことに、まずは大きな喜びを感じた。

 終わって、やや残念に思ったことは、句会の披講が終わり、自分が表彰とは関係ないと判ると、ズルズルろ会場を後にする参加者が相変わらず多いということだ。もちろん、帰宅における交通の都合などもあるのだろうが、表彰において仲間の柳人が晴れがましい一瞬を迎えるときに、喜びの拍手で送り出してやることは、同じ句会の空気を分け合った者の役割だと思う。入選・没は、選者の良し悪しにも関わり、千句を超える集句に追いつかない選者もいよう。したがって、全てがベストの選考が行われるといえず、かなり運不運もある。それを抜けた入賞者は、運も味方しているわけで、自分が没であったとしても、僻む必要はなく、次に運が回ってくることもあるのだから、気持ちよく受賞者を祝福したいものだ。任意選者制度になってからの句会とは、そうしたもので、「川柳の楽しみ」であり、ここから生れた句の文芸性や絶対的価値を云々するものではない。
 句会は句会としての楽しみ方ができるよう、日ごろから川柳に対する姿勢を指導者は伝えて欲しい。

 また、文部科学大臣賞の受賞者は、事前投句の入賞者から出たため、表彰式に壇上に姿を見せなかった。ジュニアの部では、一人も受賞者が壇上に上がる事がなかった。
 これは、運営上、演出上の問題だが、表彰状だけ読み上げて渡される人が居ないという光景は、客観的にもシラケてしまうような気がする。
 これからの課題も多い。

 しかし、この地で35年続いてきたこの大会が足跡を残し、繋いだことに満足しつつ夜の東北自動車道を問うk等に向った。

 

2011年6月10日 川柳の効用
 メディアの川柳には、よいものもある。
 みのもんた氏は、度々番組の中で川柳を取り上げてくれている。もちろん、全て手放しで喜べるものではないが、電波に川柳が乗って広げられることに、私は感謝の念を絶やさない。
 今日の朝の番組では、「被災地川柳」と称して、ある地域で地震後に行われている川柳の紹介があった。
  れんほうに負けぬ物資の仕分け人
なんて句は、震災吟としても残したい一句だ。全ての句が、文芸的に上手いというわけではないが、ここで重要なことは、被災した方々が川柳を通してコトバを吐くことにより、自らを見つめ、心の状態が癒されているという事実だ。幾人かの作者がインタビューに応えていたが、
  はじめは暗い句しかできなかったのに、次第に明るい句になってきた…
まどと言うように、作者の心を反映した作品は、作者の生活や心情に良い作用を与えているようだ。川柳をすることによって、物事を明るく捉えられるようになったというのも、自らを客観化することで生れる意識だろう。
  いい天気片付けしたい家あれば
被災者の多くが共感しただろう。また、外から見ている私どもにとっても、この心情を聞くとき、また被災者の心を思う事ができる。
 川柳は、句会で抜けるような「名吟?」に限ったものではない。
 川柳は、その時代、その社会、その人間を映してきた社会詩としての一面がある。
 こういった取り組みが川柳で行われる事が嬉しい。
 また、それを取りあげてくれた「もんた」さんに大きな拍手を贈りたい。

 

2011年6月3日 しずかなる怒り
 
 将棋する? 友が嫌がり ならいごと
                  「なら囲碁と」
                  「習い事」
 Eカップ 少し見得張り いいすぎた
                  「Eすぎた」
                  「言い過ぎた」
 団結し 勝まで粘る すととんぐ
               「ストロング」
               「スト、ロング」

 いずれもペケポンという番組で行われている「川柳」?である。
 回答は、すべて二重に読める音を使ったコトバ遊びで、ここには川柳におけるニンゲンの姿や社会の裏表、矛盾や面白さは何もない。単なる「言語遊戯」である。
 かつて、川柳が「狂句」と呼ばれていた時期に、こういったコトバあそびを句会で楽しんだ時代がある。それをして「非文芸」であることから、明治の中興の祖らが現れて、一方では江戸の情緒に還ることを目指し、一方では、流入する西洋近代詩の個の文芸を目指した。以来、今日句は巷から姿を消し、川柳は文芸の端くれとしての存在を確かなものにしてきたが、ここにいたって、禍々しい川柳の疵がもてはやされてきている。
 私は、ある一面においてどのような形であれ川柳が電波に乗ることを肯定的に捉えてきたが、あまりにも川柳画社会で誤解される要因ともなるようなら、断固としてこの表面的言語遊戯でしかない「川柳」と称されるものに対応しなければならないと感じている。
 今、しずかに心の一部で怒りが生れている。

 

2011年5月30日 パイレーツ
 娘も私も大好きな「パイレーツ・オブ・カリビアン」の4作目を見に行った。忙しくて構ってやれない娘へのお詫びでもあった。
 すでに友達のように良く知っているジャック、私の好きなバルボッサ、さらにはギブス君などがスクリーンで目を楽しませる。
 ただ、終わってみると・・・なんとなくいつもの満足感が足りないように感じた。
 日本語吹き替え版であったからなのか、その他の知己が出ていなかったからなのかよく判らないが、娘は、「海賊なのに船の戦闘がなかったし、チャンバラの場面も少なかったし、ジャックがあまりかっこよくなかったし…」と、不満そう。それでも、場外でオリジナルグッズを買い込んで楽しんではいた。
 思うに、要素が盛り込みすぎだったのでは。人魚も面白かったが、描き方位置づけが半端だったし、黒髭とジャックの関係も一方的過ぎた。
 イギリス王に臣従したバルボッサの姿に私は不機嫌を覚えたが、その意図が、黒髭への復習のための「手段」であったという結末に、いかにも彼らしいと胸を撫で下ろした。海賊は、どこまでいってもアウトローの存在であって欲しいし、わたしも、自分自身としては現実には叶わない彼らの存在に身を重ね合わせて楽しんでいる。

 

2011年5月19日 天気晴朗
 緑濃き飛鳥山を俯瞰する北とぴあの17階からの展望。
 はるかに東京スカイツリーが一際目立つ存在になった。
 目を凝らして見ると、我が家・玄武洞も小さく見える。
 戦後の焼野原から復興したこの街が、ふたたび災禍に見舞われぬことを祈るのみだが、70日を過ぎて、未だ避難所生活を強いられる被災者の居られることに胸がいたむ。
 復興も一筋縄でいかない大変さをもっていることはよく判るが、なんとしても早い対応をして欲しいし、また、我々も出来ることに目を向けねばならないだろう。
 

 

2011年5月18日 文京川柳会
 ダブルヘッダーで夜は文京。地震の影響が残るメンバーもいて、休みが多くチョッと淋しい。それでも新しい仲間が増え、作句に、互選に熱が帯びてくると、私もまた元気にさせられた。

 

2011年5月18日 川柳公論慰労会
 三柳主催の川柳公論委員の慰労会が行われた。
 日ごろ、公論を支える委員さんへの主宰の感謝から、表彰句会の後に毎年行われている。川柳公論37年の間には、多くの委員が公論を支え、また変っていった。今日、集まったのは現在の顔ぶれで、創立時を知るのは「いち子」さんだけになった。
 川柳公論5周年から委員に加わった私の同僚は、公論委員の中でも大きなボリュームの存在であったが、今は私一人。
 時の流れを感じるとともに、今を大切にし、今ある人との絆を大切にしなければと思う時間だった。なんだか、自分も老いた気がする。

 

2011年5月17日 押上
 なんだか忙しいばかりで日が経つのがはやい。
 久しぶりに全員が顔をあわせた押上教室。旅の土産のヨーロッパのお菓子、福島の竹の子の煮付け、手作りのおしゃれなケーキ、包みに一つずつ川柳のついた飴など机上を賑やかにして川柳に向かう。
 句会吟と創作における作者の意識に違いがあるかどうか…。
 それは、作者の個々人によって異なるのは当然でどれが正しい姿勢か…ということはいえないが、現在の任意選者制度をベースとする句会では、創作における作者の表現と競吟における川柳作品とは、全く同じ思考ではできないと私は感じている。
 川柳が、文芸や文学として位置づけられるには、川柳の選考システムから変えねばならないが、川柳は決して文芸としてだけ存在するものではない。
 句会における楽しみも重要な要素であり、ここでは、暗合や類想が生れても仕方ないことを知った上で、作者の個の表現を川柳の上に打ち立てる創作の作品をも世に問えるシステムを作り出していかねばならないと、話しながら感じていた。

 

2011年5月9日 美大
 今年入学の一年生は実に生真面目だ。
 映像を用いた講義とはいえ、90分・90分の2コマをびっしり語る私の話を静かに聴いている。例年であれば、一部は寝ていたり、ざわざわと私語が聞こえたりする。自ら学ぶ事が大切な大学であるから、私はあまりそういったことに頓着せず、マイペースで講義を進めるが、今年に限っては、吸い込まれるようにこちらに目が向いている。逆に、ちょっと話す側も緊張を強いられる。3時間立ちっぱなしの講義で、最後の15分ほどは私のほうが立ちくらみしそうなほど血糖値が下がるまで熱弁させられてしまった。
 聞くほうも大変であったとおもうが、話す方もまたそれなりである。

 それにくらべると実技の授業は別の面白さ、大変さがある。
 教える体系は一つだが、「表現」という分野ではその体系的知識を各個が利用する目的が多岐になる。オーソドックスに上手くやるものもいれば、自己流の解釈で当然の結果に至らない者も出てくる。もちろん、本来は伝統をそのまま鵜呑みにマスターしてから各自のアレンジが始まればよいのだが、短い時間で美味しい部分だけを体験させようというのは、なかなか難しい。
 実際に教えながら、教え方の問題点、準備の問題点を教えられることも多い。
 それでも、ふだん自分たちが知らない別分野の絵画技法について取り組む学生らに好奇心が大きく、夢中になっている姿を見て嬉しくなった。
 識る楽しみは、川柳ばかりではない。

 

2011年5月6日 国立国会図書館
 地震以来、気持ちが内向きになっていたようだったが、大学などで若い人の活力を見て、気分もだいぶ上向いた。日ごろから溜めていた調査項目を解決するため、国会図書館へ。
 知識や情報の宝庫で、多くは埋もれた史料に直接当たる事ができるが、何より、ここに居るだけでも毎回新しい発見が貰えることが嬉しい。
 資料請求の待ち時間に手にした棚の新聞資料に思わぬ記事を見つけることもある。
 チベットでは「埋蔵経」という考え方がある。それを求める者が現れると土の中から先人の教えが出てくるというようなことだが、度々、わたしもこのような不思議な幸運をもって知識が与えられることがある。
 そのためにも、常に好奇心を持っていなければいけないと自分に言い聞かせている。

 

2011年5月2日 美大
 東日本大震災により新学期が遅れた大学の授業が二週間ずれて始まった。
 さあ、これからが忙しくなる。
 実家や知人が被災した学生もあり、例年とは少し違った気分もあるが、自分が求めた道を学ぶ学生の目は輝いているので一安心。
 
好奇心と向上心が苦難を乗り超える源になっていくことだろう。

 

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